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中央ヨーロッパにある国。

国家情報

ユテヴィア第二共和政
Republik Jutvia
国旗
      
国章
           
国歌Lobe das Jutvia (讃えよ、ユテヴィア)
公用語ドイツ語
首都ライバッハ
最大の都市ライバッハ市
大統領ロベルト・ユンゲル
首相エルンスト・ドイヒ?
面積22,273㎢
人口総計(2020年) 2,079,000人
GDP合計(2020年) 469億1800万ユーロ(€)
通貨ユーロ(€) (1993年までの通貨はオーストリア・クローネ?)
国教ローマ・カトリック、ドングリ信仰
ISO 3166-1JT/JTV


概要

ユテヴィア共和国(ユテヴィアきょうわこく、ドイツ語:Jutvia)、通称ユテヴィアユテビアは、中央ヨーロッパに位置する国。首都はライバッハ。長い歴史と伝統を有する国で、ヨーロッパの主要な交差路の一つである。

ユテヴィアはイタリアウィーン同盟、クロアチアやハンガリーと国境を接している。20,273平方キロメートルの国土面積と208万人の人口を有している。議会制共和国で、与党は第三共和国運動で、大統領はロベルト・ユンゲル、首相はエルンスト・ドイヒ?である。

ユテヴィアの国土はアルプス山脈とアドリア海に挟まれており、多種多様な地形が広がっている。また、ユテヴィアの国土は半分以上が森に覆われており、この自然環境が後述するドングリ信仰を生んだ。
ユテヴィアを構成する民族はゲルマン語派に属するユテヴィア人?であり、そのほかにドイツ系、イタリア系、ハンガリー系の住民が居住している。文化面では歴史的にもオーストリアによる支配が長かったこともあり、オーストリアとドイツ系の影響を強く受けている。
宗教はローマカトリック教会の影響が強いが、住民の多くは自然崇拝をはじめとした民間信仰を信じている。また、少数派にルター派や東方正教もある。

ユテヴィアの歴史上この国が独立していた期間は極めて短く、多くの場合はフランク王国?ハプスブルク帝国による支配を受けていた期間のほうが長い。この国が初めて独立国家を形成したのは1918年の第一次世界大戦?後のユテヴィア第一共和政?で、その後の第二次世界大戦でユテヴィアはドイツ国による侵略を受けて苛烈な支配を受けた。戦後ユテヴィア第二共和政を建国し、1947年にはNATO、1993年にはEUに加盟している。

国名

正式な国名はドイツ語でRepublik Jutvia (レプブリーク・ユテヴィア)で、通称Jutvia。英語表記はRepublic of Yutaviaで、通称Yutavia。日本語表記は「ユテヴィア共和国」であり、稀に「ユテビア共和国」との表記もみられる。漢字表記では遊丁文亜という表記がされる。

「ユテヴ」の語源に関しては諸説あるが、最も有力な説は古代ラテン語で相づちなどを意味するyuteが由来で、ローマ人に「従う人々」や「友好的な人々」といった意味合いで呼ばれたのが起源だとされている。

歴史

中世・近世

2〜3世紀ごろにユテヴ人が定着する。ユテヴ人は他のゲルマン諸部族と異なりローマ諸都市への略奪は行わず、中央ヨーロッパの深い森の中で細々と狩猟生活を営んでいた。ローマ人たちは彼らをほかのゲルマン諸部族とは別物として扱い、ユテヴ人を「友好的な人々」と呼び、時折交流もしていたとされている。9世紀ごろにユテヴ人はフランク王国(東フランク王国)の支配を受け、この時西方文化とカトリックがユテヴ人に浸透した。ただし、もともと現地に根付いていた自然崇拝もそのまま民間信仰として受け継がれた。15世紀以降ユテヴィアはハプスブルク家?の所領となり、ユテヴィアのドイツ化が始まる。

近代

1914年に第一次世界大戦?が勃発するとユテヴィア人の多くははウィーン同盟の軍隊に参加した。ユテヴィア人貴族ユトヴィッツェ子爵?の率いるユテヴィア人騎兵隊はかの有名なカポレットの戦い?でイタリア軍の防御陣地に対し大規模な騎兵突撃を敢行して殲滅された。1918年に大戦が終了するとユテヴィアはウィーン同盟とオーストリア大公国から独立する。この時隣国セルビア王国がユテヴィアに「南スラヴ連合王国構想」への参加を要請するが、ユテヴィアは住民投票の結果を理由にこれを拒否し、ユテヴィア国家の成立を宣言。ユテヴィア人貴族を中心にユテヴィア第一共和国?が建国された。しかし南に成立したセルビア=クロアチア王国(ユーゴスラヴィア王国)はユテヴィアを国家承認せず、同時にオーストリアからの後ろ盾も失われた。また、国際社会はこの中欧の貧しい小国に全く興味を示さず、ユテヴィアは外交的に孤立した。

1941年にドイツ国はユーゴスラヴィアに侵攻。この際ユテヴィアはユテヴィアの国家承認と引き換えに枢軸国へ参加し対ユーゴスラヴィア戦に協力すると発表したが、ユテヴィアをユーゴスラヴィアの一部と認識していたドイツはこれを無視してユテヴィアを占領下に置いた(ドイツ軍側の記録にはユテヴィアで"ユーゴスラヴィア軍"との交戦記録が残っている)。この時市民を中心に数万人に及ぶユテヴィアンパルチザンがドイツ軍に対する破壊活動や襲撃を行った。1945年にパルチザンはユテヴィアを解放。戦後は連合国軍がユテヴィアに進駐し、1946年に再び独立を果たした。

戦後

戦後のユテヴィアはユテヴィア第二共和国を建設し、1947年にNATOに加盟。西側諸国の一員として東側に向き合った。とはいえユテヴィアと国境を接する社会主義国となったユーゴスラヴィア連邦は他の東側諸国とは異なる比較的西側に寛容な国となり、ユテヴィアとも友好関係を維持する。これによりユテヴィアは数少ない「東側との窓口」として国際社会からの注目を集めた。ユテヴィアはその後しばらく東側との窓口、貿易の中継地として発展したが、1991年に冷戦が崩壊すると「窓口」としての役割を失い、経済の発展は停滞気味になる。また2008年のリーマンショックの際にユテヴィア経済は壊滅的な打撃を受ける。2022年3月の選挙ではそれまで長年与党を務めた中道右派政党のユテヴィア国家民主党?に代わって新興政党の中道左派政党第三共和国運動が与党に選出された。

政治

現代の政治

1946年の第二共和政成立後、最初に実施された自由選挙以降ユテヴィアの政治はほとんどユテヴィア国家党(のちのユテヴィア国家民主党?)が舵取りを続けていた。第二共和政初代大統領は国家党党首エーリヒ・フォン・ぺテルノ?、初代首相はヴェルナー・レットウ=ツェラルト?が就任した。戦後の荒廃したユテヴィアを立て直した功績から国家党は長期間第一党の座を維持し続けた。国家党は1952年に第二党のユテヴィア民主同盟?と合併し、国家民主党に改称する。
80年代後半から90年代にかけてユテヴィアの経済が停滞すると、国家民主党の支持率も低迷した。1992年の選挙でユテヴィアキリスト教民主党?が第一党に選ばれハンス・ニッケル?が大統領になったが、次の選挙では再び国家民主党が第一党に選ばれた。2014年の選挙では国家民主党の支持率は過去最低となり、キリスト教民主党との連立政権が発足する。
2022年に新興政党の第三共和国運動が高い支持率を得て第一党に選出され、党首ロベルト・ユンゲルが現職大統領に、エルンスト・ドイヒ?が現職首相に就任した。

政治制度

大統領の任期は8年で、間接選挙で選出される。大統領の権限は形式的なもので、行政府の長である首相は議会が選出し、大統領によって任命される。ユテヴィアの立法府である国民議会(Nationalversammlung)は一院制を採っている。主要政党は現与党で中道左派の第三共和国運動と、中道右派のユテヴィア国家民主党?である。

軍事

地理

ユテヴィアは首都のライバッハをはじめ、シュタイアーマルク州?ムルゲビエット州?ケルンテン州?インナークライン州?ウンタークライン州?ゴリツィア州?の計7つの行政区に分けられている。

ユテヴィアはアルプス山脈の南端であるユテヴィアンアルプスの麓に位置する山岳国である。ユテヴィア北部はアルプスの山々と深い森に覆われていることから、山と森はユテヴィアの象徴である。オーストリアとの国境にあるユテヴィアで最高峰のトリグラウ山(Terglau)はドイツの登山家グスターナーが最初に登頂して以来、世界中から登山家やスキーヤーが訪れる観光地となっている。一方で、ベレーダー湖(Bleder)の河畔に広がるドンケルヴァルトの森(Dunkelwald)は昼間でもほとんど日が差し込まないため、この森に立ち入るのは容易ではない。また、ユテヴィア西部のイタリアとの国境沿いはユテヴィア唯一の海岸線があり、港湾都市ガフェル?をはじめとしたユテヴィアの重要な貿易港があるほか、アドリア海に面したリゾート地などが広がる。
一方で、ユテヴィアの内陸部からクロアチアに続く南部にかけては石灰岩からなる荒涼とした不毛な土地が広がっている。ただし、ハンガリーとの国境付近にはなだらかな平原があり、ここはユテヴィアの重要な穀倉地帯である。
トリグラウ山

経済

ユテヴィアは冷戦期に東西貿易の中継地(東側との窓口)として重要な役割を果たし、最盛期はヨーロッパでも上位の経済国であった。しかし冷戦終結後にユテヴィアの貿易の中継地としての価値が低落すると経済状況は悪化し、2008年のリーマンショックの際には史上最悪の経済危機に直面した。リーマンショック直後のユテヴィア経済はヨーロッパ諸国の救済によって何とか崩壊を免れたが、その後もしばらく回復の兆しは見えずに現在に至る。
ユテヴィアの主要産業は電子機械製造、金属加工業などが中心である。また、穀物栽培(小麦やジャガイモ、ブドウなど)もユテヴィアの主要な産業の一つであり、農業国としての一面も見せている。一方で地下資源には恵まれず、石灰岩と低品質な石炭をわずかに産出する程度である。また、馬術競技やオーストリア貴族御用達の軍用馬まで幅広く活躍している軽種馬であるリピッツァナー?はユテヴィアが原産である。
リピッツァナー馬

文化

国民

ユテヴィアはドイツ人国家である。1981年までの国勢調査では9割以上が民族ドイツ人だっが、その後の1990年以降は旧ユーゴスラヴィアから移民を受け入れたことにより2010年の国勢調査ではドイツ人の割合は8割弱まで落ち込み、代わりにクロアチア系、セルビア系、ハンガリー系、イタリア系が流入した。

言語

言語は高地ドイツ語(スイスやオーストリア、南ドイツで用いられる)が公用語になっている。第二公用語は英語。また、外国との国境に近い地方ではイタリア語やセルビア・クロアチア語が話されている地域もある。学校教育ではドイツ語と英語が教えられている。

宗教

ユテヴィアではローマ・カトリックが国教とされているが、最も広く信仰されているのはドングリ崇拝である。これは8〜9世紀ごろにカトリックが浸透する以前のユテヴ人の間で崇拝されていた自然崇拝の一種で、ブナの木をユテヴ人の守り神とし、ブナの木から落ちるドングリを神の子として崇めるものだった。これは後にキリスト教と融合し、ユテヴィアが西欧化の道を歩むきっかけにもなった。
ユテヴィアにはカトリックと自然崇拝以外にセルビア正教をはじめとした東方正教などがあり、近年は少数ながらイスラム教徒などもいる。一方で文化的側面から無神論者はほとんどおらず、無神論的考えはユテヴィアでは基本受け入れられない。

伝統

祝祭日

2月8日は「プレシェレーンの日」で、これはユテヴィアの文学家フランツ・プレシェレーンの命日に由来する。
4月28日は「占領からの解放記念日」で、これは1945年のこの日にドイツがユテヴィアから撤退した日である。
6月7日はユテヴィアの「独立記念日」で、これは1919年のこの日に第一共和政が成立したことに由来する。
イースターやクリスマスや聖母被昇天祭はユテヴィア独自の記念日ではないので割愛する。
また、9月の下旬には「ドングリの日」という移動祝日がある。

出典

関連項目

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